大澤信亮

批評家・日本映画大学准教授

終わりし十年の記念に

今月は自分にとって記念的な三つの仕事を発表します。

まずはロスジェネ4号。じつは今回で最終号です。詳細はロスジェネHPの巻頭言を読んでください。僕は原稿用紙90枚ほどの浅尾大輔論、杉田俊介さんとの12時間を超える対話(原稿用紙600枚分)を行いました。自画自賛になりますが、前者は作家論としては、近年の若手が書いた作家論のなかではいろいろな意味で圧倒的なものになったと自負します。それは浅尾大輔という作家との幸運な出会いの賜物です。心より感謝します。

後者もまた僕たち以外には語りえない内容が多く、希少価値が高いかと思われます。一例を挙げれば、この十年間に僕が関わった人(大塚英志福田和也鎌田哲哉東浩紀その他の各氏)や出来事(NAM、「重力」、フリーターズフリー、若年労働運動、ゼロアカ道場その他)について、批判も称賛も含めて、思うところを率直に述べました。他にも柄谷行人浅田彰山城むつみ立岩真也大澤真幸、郡司ペギオ幸夫、吉原直毅の各氏に言及しつつ、いま、真に刺激的な思考はどこにあるのか徹底的に話しました。言及された膨大な固有名とトピックの一部は裏表紙に列挙しました。はっきり言って「ロスジェネ」の社会的文脈は完全に無視して自分のやりたいことだけをやりました。この辺に興味がある人は誌名に躓かずに読んでほしい。

それから一年半かけて書いた長編批評が、発売中の「新潮」4月号に掲載されています。「批評と殺生──北大路魯山人」。これは現時点の僕のベストです。臨界で書いたため十分に定式化できていない感覚もありますが、それも含めて、これまでのような「決着を着けた」というのとは違う、新しい領域に触れた手応えがある。直観的に「宮澤賢治の暴力」の元になった「よだかの星と修羅」という文章を書いたときの感触に近い。この感覚を試す過程で現実的な関係も変わってくるのかもしれません。なお、この批評文で僕の仕事に興味をもった方は、時間があれば「宮澤賢治の暴力」(「新潮」2007年11月号)と「柄谷行人論」(「新潮」2008年11月号)を図書館で借りるなどして読んでみてください。それらを読むことで杉田さんとの対話がいっそう楽しめると思います。

さらに期せずして今月の「すばる」には杉田さんの「ロスジェネ芸術論」も一年半ぶりに掲載されました。「ロスジェネ」4号では両者の作品に対する相互批評も厳しく交わされました。この対談は、過去の記憶、我々が現在もっとも注目すべきと考える議論、この目で見ながら関わってきた運動や若者文化その他、語れる限りのすべてを出し切ったものとなっています。ブックデザインも「普通じゃない」感じで完全に満足しています。もう思い残すことはありません。いや、本音を言えば、二十代の初めからいまに至るまでの様々な場面が流星のように到来して、悲しい。それが自分のなかで本当に終わってしまったことが。それでも僕は新しく在りたい。ここが到達点であり出発点です。

追記※現在新潮社には上記の「新潮」のバックナンバーの在庫がないそうです。連絡を受けて記述を一部変更しました。