大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

有限責任事業組合フリーターズフリーの解散について

2012年3月をもって有限責任事業組合フリーターズフリーは解散しました。

僕が有限責任事業組合フリーターズフリーに参加したのは「弱い者がさらに弱い者を叩く社会構造のオルタナティブを示す」という理念においてでした。たとえば僕が一貫してこだわっているのは、資本制を成立させるための原始的蓄積や、それを回転させるための相対的過剰人口という「構造的暴力」であり、それを前提とすることの上に成立してきた社会それ自体を疑うということです。単純に賃金が上がったり保障が充実すればいいという話ではありません。だから、不安定労働者を一方的に被害者と考えたこともないし、よく揶揄される「権利要求」のみを行ったこともありません。また資本制や私的所有を直ちに全面的に揚棄できるとも考えていません。それらの所与の現実の諸条件の先に「来るべき自由」を見ようとしているだけです。この機会に改めて強調しておきます。

フリーターズフリーから離脱(組合としては解散しますが雑誌は続きます)するということは、その理念がフリーターズフリーでは十分に実現できない、そう僕が結論したことを意味します。理由は一口には言えません。自分が不安定就労の当事者ではなくなったという事実はあります(とはいえ有期雇用なので今後どうなるかはわかりません)。でもそれだけではない。自分のなかでまだ理解できていないこともあります。しかしいずれにせよ、フリーターズフリーに参加できたことは、生まれてきた性質からして協働作業に向いていない僕にとって、奇跡的な得難い経験となりました。

この間3号を待ち続けてくれた方がいると思います。ご期待に応えられず申し訳ありません。しかし、ここで一度仕切り直すことで、フリーターズフリーは新たに動き始めるでしょう。僕は当面、自らの認識や感覚や倫理の核を鍛え直す仕事を進めつつ、その試みに呼応してくれる人を気長に探します。そして機が熟したらまた何かやるつもりです。

最後に、不安定労働者としての自分に何度も言い聞かせてきた言葉を、今この瞬間にフリーターとして生きる若い人たちに贈ります。気高くあれ。卑怯や虚栄や追従や嘲笑が世に蔓延ろうとも、君の精神だけは誰よりも高貴であれ。日々の生活が苦しくても貧しくても愉快であれ。君がそう在ろうとする限りで出会える未来の友を信じろ。負けるな。

ありがとうございました。いつかもっと成長した互いで出会い直しましょう。