大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

東浩紀氏との公開対談について

0 雑誌掲載の拒否について

12月7日に行われた、日本映画大学の講義「ジャーナリズム論」における東浩紀氏と僕(大澤信亮)の対談は、雑誌「文學界」2014年2月号に掲載されることで、双方の了解を取っていました。対談自体は非常に荒れたものの、終了後も、東氏は掲載を承諾していました。が、翌日になって突然、「文學界掲載なしで」とのメールが氏から僕に届き、雑誌掲載については版元が責任を負うという当然のルールから、「文學界の方にお伝えください」と返すと、「いや、きみの責任でよろしく」と返ってきたので、再度「僕が関わる余地はないと思うのですが」と返すと「はいはい」というメールが届きました。僕は、掲載を約束して公開で行った対談の活字化を反故にするのは、言論人としてあるまじき振舞いだと思うので、そのような行為を許した覚えはありません。ただ、著作権上、一方の拒否があれば受け入れざるを得ないので、やむなく了承しただけです。

しかし、東氏は、自分で掲載を反故にしたにもかかわらず、失態を恥じるどころか、それを取りつくろうために、事態を一方的に語っています。これはおかしな話ですし、あの場で生じた出来事をなかったことに、あるいは嘘にしてしまうので、あくまで僕の側からですが、あの対談について説明責任を果たさせて頂きます(公開対談の批評という性質上、引用は必要最小限に止めたため、表記を簡略化した箇所もありますが、語句自体は原則として音声から起こしています)。

1 議論の出発

僕は「復活の批評」発表時、東氏が雑誌の刊行前にこの論文の批判キャンペーンをツイッター上で行ったことが、とても不愉快でした。早めに届く関係者しか読めない状態で、一方的にアングルを作ってしまうことは、不公正な態度だと思うからです。とはいえ、そのような反応が現れるのもまた論争の一面かと思い、これ自体は仕方のないことと考えていました。ところが、東氏は自分の作る「思想地図」が発売前に会員に届き、その方が批判的なツイートをしたとき、刊行前に批判するな、と怒りました。これは単純におかしいと思いました。僕はこの種のダブルスタンダード(自分がやるのはいいが、他人がやるのは許さない)が、氏の言論の核心にあると感じていたので、それについて氏がどう考えているのかを聞くことから始めました。ここを聞いておかないと、以後の対話がすべて、虚しくなると思ったからです。すると氏は「前者は個人的宛先として批判されたものへの反応であり、後者は版元としての反応だから、別のレイヤーの問題だ」と答えました。そして「こんなシケた小さな問題ではなく、もっと大きな普遍的な問題から始めたほうがいい」と。しかし、僕には、東氏の言い方は詭弁にしか聞こえませんでした。僕の「宮澤賢治の暴力」は、振るわれるのは嫌だが振るうのは構わないという一般的な感覚を超えた、普遍的な「痛み」から出発したものでした。この痛みの感覚は、自分自身が予言した通り、年々強まっています。周囲を見ても、東氏だけでなく、あれだけオタクの「レイプファンタジー」を批判した宇野常寛氏がアイドル評論家となり、かつて「経済的自立は精神的自立の必要条件である」と迫ってきた鎌田哲哉氏が、それとはほど遠い生活を自分に許し、しかも、彼らが、そこに対する根本的な自己批評を欠いた言葉を流し続けているのを悲しく見ながら、「なぜ人は自分の言葉を真直ぐに自分自身に突きつけられないのか」という問いこそが普遍的なのだと、僕は確信しています。他人事ではありません。食べることの暴力を論じた僕自身の食生活が、人が聞けば驚くようなものだと思います。こういう、自分が自分を裏切り続ける経験を繰り返していれば、生きているのが嫌で死にたくなるに決まっている。この感覚は東氏にも通じるのではないかと思ったのでした。一見どんなに「大きな」社会問題やプロジェクトも、一瞬でネタ化し消費され風化してしまう。このサイクルの外から考えるためには、諸個人の意志や気質の差を超えて反復される、この強迫それ自体を普遍的な問題として把握し、そこから発言や実践を行うしかないのではないか、というのが僕が議論の出発にしたかったことでした。東氏は結局「それは僕が二枚舌だっていうことでいいですよ」と切り捨てるように言いました。以後の対話の急所で、この「二枚舌」が現れるのを見るとき、かつて「復活の批評」で書いた東氏の「内省の拒絶」の根がここにある、との思いを強くしました。

2 争点1 「ゼロ年代」の評価について

東氏は「1.大澤はゼロ年代の言論を無価値と言っている。2.しかし自分(東氏)はゼロ年代の言論に支えられている。3.だから大澤には自分(東氏)を論じる資格はない」という主張を何度も繰り返しました。この論理も僕にはまったく首肯できません。まず1はそう言ってよいと思います。しかし、2.東氏が本当にゼロ年代の言論とイコールなのかという問題があります。さらに3.かりにそうだったとして、東氏を「ゼロ年代」とはべつの視線で論じることは許されないのかという問題があります。東氏の主張の前提には「文学者には駄作や間違いはない。人生全体が一個の作品だから。つまり東浩紀の仕事の中で2000年代はゼロだと言ってるやつは、僕の仕事の意味なんて何一つ分かってない」という考え方があります。しかし僕は、すべての仕事がその思想家の表現であるとしても、そのすべてが肯定されるべきでもなく、むしろ、否定や検討において、その思想家を次の局面に進める性質の仕事もあると当然考えます。たとえば「復活の批評」は、「ゼロ年代」を否定する一方で、それとは違う可能性を『一般意志2.0』や『クォンタム・ファミリーズ』などの、氏の2000年代の仕事に見出そうとするものでした。しかし、東氏はこの姿勢を決して認めず、僕が「間違っていた」と認めなければ話せない、と主張し続けました。そのように主張する氏自身は、かつて『存在論的、郵便的』で第二期デリダを特権的に論じ、また、ある座談会で、柄谷行人氏に対し「ぼくは『探究』の初期はすごく高く評価していますが、後半はそうでもない」と語っています(「トランスクリティークと(しての)脱構築」)。これも僕には「二枚舌」に思えますが、指摘するのも虚しいのでいいです。いずれにせよ、話したいなら「ゼロ年代の言論」を肯定しろと言われると、そこに価値を認めないと言った瞬間に対話が終わってしまいます。僕はなんとか対話を続けたかったので、どう答えればよいのか悩み続け、それは会場では長い沈黙として現れました。それで問いの方向を変えようと思い、氏が3・11の後にゼロ年代の言論を否定していたことを根拠に、それを否定しても議論は可能なのではないか、と問いかけてみました。それに対する答えは、ゼロ年代の言論は「自分のもの」だから、それを「内部」から「本来は別の可能性に行くはずだった」と批判してもいいのだ、という、これも到底承伏し難い主張でした。こういうところにも氏の「二枚舌」はあって、同じ理屈で言えば、僕は氏が思想家・批評家と名乗る以上、そこは自分が関わる世界なので、言いたい事が出てくるわけです。しかし、内だからいい、外だからダメというのは、本当はどうでもいいことです。誰にだって批判する権利はあるのだから。ともあれ、僕自身も正面から答えていると思えず、結局、この問いに対して僕は最後まで明言を避けました。しかし、対話が終わり、掲載も拒否された今なら、明言できます。やはり「ゼロ年代の言論」は無価値です(付言すれば、2000年代には僕自身も関わった若年労働問題などの言論もあり、それらの価値を否定するわけではもちろんありません。また、僕が「無価値」と言った「ゼロ年代の言論」とは、そもそも宇野氏の『ゼロ年代の想像力』から来ている言葉で、当時の宇野氏が文化論だけですべてを語り、僕たちの若年労働運動を揶揄的に否定していたことへの反論として書いたものです。それを東氏がなぜか「自分のもの」「明らかに射程は僕なんだよ」と譲らない理由がわかりませんでした。対談後に「復活の批評」を読み直しましたが、僕が一貫して東氏を批判しているのは氏の「内省の拒絶」であり、どう読んでも「ゼロ年代の言論」は「若手の軽薄さ」を指しています。また、対談の場でも言いましたが、僕は出自がマンガ評論であり、サブカルチャー批評自体を無価値と言ったことは一度もありません。3年前の「復活の批評」のときもそうでしたが、こういう印象操作を繰り返していると、むしろダメになるのは自分自身の方だということがなぜわからないのか、不思議です)。

3 争点2 読者や客に対する眼差し

東氏はゲンロンカフェのお客について「ユーザーってある意味ですごいちゃらいもんだよ」と言いました。さらに「お客さんというのは、ある意味でほんとに驚きなんて求めてないんですよ。お客さんが求めてるのは安心感なんです。二千五百円を払って、自分が知ってる話を聞きたいんですよ」と言いました。それに対して僕が「でも、そうじゃないものを期待してるわけですよね」と聞くと、東氏は「そうじゃないものなんて、僕は期待してない。それはもう厳然たる事実としてあって、そういうことをやることによってプラットフォームを作って、別のことをやれるような体力をどう付けるか、ということを考えているだけですよ。そこでお客さんへの期待とか、それはほんとにないです」と言いました。あるいは僕が「福島第一原発観光地化計画」の「旅の終わりに」に言及したところ、東氏は、あれは「文学・哲学ユーザーのために書いてる」「ああいうのは絶対感動するんですよ」「あとがきってサービスじゃん」と言いました。僕はこの姿勢にまったく賛同できません。自分の本を読んでくれる、イベントに来てくれる、そういう人たちに向ける態度とは到底思えません。そうやって、自分から読者やお客さんを馬鹿にする姿勢でものを作り続ける一方、本当の自分は理解されないと嘆く態度は、言語道断に酷いものだと思います。何より、そうやって作っているかぎり、たとえどんなに数が刷けても、根本的に虚しいに決まっています。僕はこれまで、文学や思想の外を目指す氏の実践を、畏敬をもって見てきました。しかし、心の内では自分の本の読者を馬鹿にしつつ、そんな人たちでも飛び付きそうな企画を考えるというのは、誠実ではないし、知性の使い方を著しく間違えていると思います。東氏は、自分が文学や思想の外にいる他者に向き合っていると豪語するのですが、その実行の根っこに、こんなに醜く淀んだ精神があるなら、そんなものは他者に向き合っているなどとは到底言えません。他人を巻き込んだ単なる自己顕示に過ぎません。これは今に気づいたことではなく、うすうす勘付いていたこととは言え、それを本人に、目の前で、はっきりと言われたことは決定的で、今まで東氏の本を買ってきた自分を省みても、このような姿勢で作られている氏の本をもはや買う気になれません。作り手としての姿勢に倫理的に腹が立つというだけではありません。どんな気持ちで作っていても、商品・サービスとして優れているなら、文句を言うつもりはありません。しかし正直に書けば、これまで、注目させるのはうまいが、中身は物足りないと思いつつ、それでも氏が度々こぼす「だって柄谷行人を読んで僕を読んでるやつなんか、もういないじゃん」という愚痴を聞いたりすると、初期から読み続けてきた人間として、氏のなかにあるはずの何かに期待して、言動をずっと見続けるつもりでいました。しかし、こういう姿勢こそが東氏を苛立たせ、また勘違いさせ続けるのなら、この精神の悪循環を微力ながら断ち切る手助けをするために、今後はむしろ、読むべきではないものと考えることにします。対談中に僕が言い続けた「この私」が問われるとは、こういうことで、私小説的な記述を意味するわけではありません。

4 争点3 新人批評家の輩出

東氏は、自分は宇野常寛氏、濱野智史氏、福嶋亮大氏、藤田直哉氏その他の人たちを「全部」「育てた」、それに対して文芸誌の側は何が言えるんだ、と主張しました(諸氏が、東氏によって育てられた、と単純に言うのかどうかはわかりませんが、彼らが東氏に接触していた時期があるのは、傍目から見る限り確かなように思えます)。僕は、文芸誌を主な仕事舞台とする人間として、より正確に書けば、最後の「新潮新人賞評論部門受賞者」として、つねにそのような問いを自らに課し続けています。漠然と問うだけなく、具体的な目標や企画を立ててもいますが、実現していない以上は何も語れません。それから、福田和也氏に教えを受け、大塚英志氏に仕事を、鎌田哲哉氏に姿勢を学んだ僕は、現在の関係がどうなっていようと、彼らが僕にしてくれたことと同じことを若い人たちに返そうと決めて、実際に振る舞っています。とはいえ、そこから新しい書き手が出て来るかどうかは、わかりません。この問題について現時点では東氏にアドバンテージがあることは認めます。僕の本を読んだ未知の読者や、本を通して出会った人のなかから、何者かが現れて欲しい。ネットを使った喧伝や野合や印象操作ではなく、書くこと自体で勝負できる人が出てきて欲しい。直ちに時限性が問われる性質の問題ではないので、そういう人が一人でも現れてくれれば、それが氏に対する答えになると思います。なお、2000年代の文芸誌については、僕を輩出したというのが答えになると思います。そういう責任と覚悟でやっています。

5 最後に

東氏が「争点1」の主張を貫くかぎり、僕には氏と対話する術がありません。しかし、当日の場にいた方は見ていたでしょうが、あの激昂と罵倒に曝されている最中でも、僕は、氏に対する怒りは湧かず、むしろ、そう語るしかない氏を理解しようとしていました。僕は氏の「ソルジェニーツィン試論」での、イワンとアリョーシャの対話を思い出していました。どう答えても間違える問いをふっかけられながら、その試しのなかに、何かしらの期待を感じていました(公正のために記せば、氏はけっして席を立とうとせず、また、僕の発言を遮るようなことも基本的にはせず、何より、長い沈黙を待ってくれました)。文学論や政策論を空疎に交わすよりも、こういう話しこそが、文学なのだと感じていました。とは言え、僕自身は、あれからずっと無力感を覚えています。アリョーシャになれなかった。あるいは「ゼロ年代の言論を認める」という一言が「銃殺です!」に値する言葉だったのか。その「ばかなことの上にこの世界は成り立っている」(『カラマーゾフの兄弟』)ことを認めることが、東氏に近づくことだったのかもしれません。しかし、本心では思っていない言葉を口にすることは、僕にはどうしてもできませんでした。それでも最後にこれだけは言っておきます。やはり「誰も言ってくれないけど全部繋がっている」ではなく、誰が見ても明らかに『存在論的、郵便的』を正面から超えた本を書くしかないと思います。どんなに売れようが、ツイッターのフォロワー数が何人いようが、それを利用した集団的な叩きを行おうが、前にも言った通り、僕には一切通用しません。しかし、決定的な一冊の本に対しては、頭を下げる覚悟は出来ています。それを書くために、もし僕の力が必要なことがあれば、またいつかお会いしたいと思っています。