大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

今月の仕事

今年もよろしくお願いします。

以下、今月の仕事です。

連載「小林秀雄」第29回(「新潮」2016年2月号)。

浜崎洋介氏との対談「生きることの批評」(「すばる」2016年2月号)。

藤野可織氏『爪と目』(2015年12月23日刊行)の文庫版解説。

小林の連載は、日中戦争からノモンハン事件を経て、ついに第二次世界大戦に入りました。日独防共協定を無視しての独ソ不可侵条約、その直後のポーランド侵攻(第二次大戦勃発)という流れは、国家間における条約や協定の意味を改めて考えさせられます。また、話のいきがかり上、アウグスティヌスの『告白』と『神の国』を読み直しました。前者は山田晶氏訳が素晴らしいです。人を殺すことに苦しんだパウロの罪の意識がキリスト教を創り、その三百年後、十五年連れ添った内縁の妻を捨てても止まぬ情欲に苦しんだアウグスティヌスがそれを固めたとすれば、キリスト教脱構築するとはどういうことか。

浜崎さんとの対談は、箱根の温泉旅館「福住楼」で、14時間に渡って(帰りのロマンスカーも含めて)行われました。浜崎さんと会うのは初めてでしたが、古い友人と語り合うような心が通った対話になりました。改めて浜崎さんに感謝します。誌面に反映されたものは、たくさんのことを話したなかの本当にごく一部なのですが、ちゃんと話している感じが出ている、よいまとめになっていると思います。分量だけで言えば、会議室で2時間も話せば十分なところを、じっくり温泉で話したいという希望を快諾して頂き、長時間に渡る対話に同席し、自らそれをまとめてくれた担当の努力のたまものです。この「すばる」には「批評を載せる」という編集者の思いが漲っており、他の著者の文章も気合が入っています。そうそうあることではないので、ぜひご購読を。

藤野さんの本の解説は「波」に寄せた書評の再録です。

三年目になる映画大学のゲスト講義では、思想家の前田英樹氏をお招きすることになりました。それで年末は氏の著作を読み直していたのですが、未読だった『ベルクソン哲学の遺言』に感動しました。ベルクソンについてベルクソンのように書かれたこの本は、読む者自身をベルクソンのようにしてしまう。これは僕の思う理想的な本の在り方なのですが、それが実現されることは極めて稀です。ベルクソンは大学時代にドゥルーズ経由で読みましたが、今は小林経由で読み直すなかで、そのすごさが改めてわかってきた気がします。ベルクソンの思考は驚くほど単純ですが、問いの立て方と答え方、あるいは「生きていること」への感度の強さにおいて、僕にはとてもしっくり来ます。あまりにしっくり来るので、むしろ批判的に見る必要があるかもしれない。

年末は友人たちと恒例の食事をし、朝の築地を回ったあと、上野動物園に行きました(目当ての国立博物館は休館中)。互いに無関心に草を食む猿たち、その間を走り回る子猿たち、群れの外れで睦み合う猿のペアなんかを見ながら、クラナッハの「黄金時代」を思い出していました。静謐な時間でした。