大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

今月の仕事

「新潮」9月号の「小林秀雄」第14回は、1933年前後の日本共産党と「転向」について書きました。

 この連載は小林秀雄という人を描くことを目標にしていますが、小林について知ろうとすると、小林の生きた時代について知らなければならない、ということが多々あります。また、連載ではあまり言及できなかったが、あらためて読み直すと「いい」と思える作家がいます。たとえば、広津和郎本多秋五、次回で言及する林房雄などは、以前とはずいぶん違った印象で読めました。今回の本多について言えば、鶴見俊輔らによる『共同研究 転向』の書評で、この本の自由で実証的な姿勢とその成果を最大限に評価しつつも、〈まだ本当に書きたいことが書けたという気がしない〉と言い、1939年の秋に宮本百合子が新聞に発表した「犬三題」という文章についての〈思い出話〉を書いています。このエッセイは、三匹の犬を、共産党員、プチ・ブル、ブルジョアに見立てたもので、本多は〈そのころ東京逓信局という役所につとめていて、その役所の一隅で読んだのだが、こみ上げてくる笑いを、愉快に笑って話し合える友はそこに一人もいなかった〉と書いた上で、こう続けます。〈私はもちろん、宮本さんのように堂々とも毅然ともしていなかった。ただの小役人であった。しかし、彼女の一日たった三枚ほどの文章は、そこに「旗」がある、と思わせた。奪われも倒されもせず、そこに「旗」があると思わせた。その時代にそう思うことは、無限の強みであった。/『昔の火事』という小説があった。もう四〇年に入ってからの小説であった。わけのわからぬ、どこにも宮本百合子らしい骨の見えない小説であった。しかし、御時勢に恭順の意を表した文句はカケラもなかった。「旗」は見えかくれにはなったが、まだあそこに確かにあるのだ、と思えた。それは強みであった。/この話と、共同研究『転向』上巻と、どういう関係があるか、私にもよくわからない。しかし、私はこのことをここに書き添えておきたいのだ〉(「共同研究『転向』の書評」)。本多は鶴見らに「そこに人を励ます旗はあるのか」と問うているのです。いや、転向について書く者たちすべてに。