明日発売の「新潮」10月号に、町屋良平氏、三宅香帆氏との鼎談「文芸批評のこれまでとこれから」が掲載されます。ご出席していただいた両氏に感謝します。
こういう場に出席するのは久しぶりで(記憶では2022年「すばる」2月号の「すばるクリティーク賞」の選考座談会が最後)、どんな話になるのか、どんな話ができるのか、心配ではありました。しかし同時に大切な機会を与えられたとも思いました。
僕はSNSはほぼやっていないし(このブログを年に何回か書く程度)、あまり読むこともありません(ごくわずかな人の近況を見るくらい)。理由として、不特定多数の人と瞬発的に関係するのが苦手という自分の体質的な問題がまずあります。また、そのようなプラットフォームを前提とする言論の力学や経済に対する違和感もあります。
ただ、それによって現在の出版業が回っているとすれば、自分もそのなかで書いているわけだから、単純に否定もできない。さしあたり、人には向き不向きがあって、その無意識的な「協働」によって社会が成り立っていることを、肯定と否定の両面において意識しつつ、それぞれのなすべきことを信じてやるしかないと思っています。
しかし、そのような「協働」が終局的にまずいことになるとしたら、どうか。
これはより根本的には資本主義の問題と言えます(「人間の」かもしれないが、それは違う気がする)。「等価交換」という幻想的概念を基軸に、労働力商品をめぐる人間の数量化=記号化を、その差異を産出しつつ回収することによって推し進めるこの経済システムは不思議な力で、人間の思考や感覚や精神を自らに適応すべく変えていく。
いまから100年近く前、かつて27歳の小林秀雄は、そのデビュー作で言いました。
現代を支配するものはマルクス唯物史観に於ける「物」ではない、彼が明瞭に指定した商品という物である。(中略)バルザックが「人間喜劇」を書く時、これを己れの認識論から眺めたら、己れが「人間喜劇」を書く事も亦あるが儘なる人の世のあるが儘なる一形態に過ぎまい。而も亦、己れが「人間喜劇」を書く事から眺めたら、己れの人間理解の根本規定は蒼然として光を失う概念に過ぎまい。このバルザック個人に於ける理論と実践との論理関係はまたマルクス個人によっても同様でなければならない。(中略)世のマルクス主義文芸批評家等は、こんな事実、こんな論理を、最も単純なものとして笑うかも知れない。然し、諸君の脳中に於いてマルクス観念学(マルクスによる資本主義的イデオロギーへの批評──引用者)なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である。そして、この変貌は、人に商品は世を支配するという平凡な事実を忘れさせる力をもつものである。(「様々なる意匠」1929)
資本主義がいかに危険なシステムかは多くの人がわかっている。しかし、それを批判する言葉自体が商品となり、むしろ資本主義を維持強化していく現実の恐ろしさを、心臓のレベルで実感している人はおそらく多くない。そのうえでさらに、理論に貫かれた実践と実践に貫かれた理論の体現として、存在し発話し行動するような人物は。
小林は〈商品という物〉と〈マルクス唯物史観に於ける「物」〉を区別しています。この引用の前の部分で小林はこう書いています。〈マルクスの唯物史観に於ける「物」とは、飄々たる精神ではない事は勿論だが、亦固定した物質でもない〉。この精神でもなく、物質でもなく、あるいは精神でもあり、物質でもあるものが、彼の「唯物論」の基盤となって、貨幣や国家や労働や個人や人間その他、無数の観念(イデオロギー)を批判的に打ち砕く。かつてあり、いまここにあり、いつかある、そんな「物」としての現実を、いったいどうつかめるのか。何も異常なことを言っているつもりはなく、むしろ私たちの現実はそうであるのに、気づけば資本主義に適応しようとしている。
「小林秀雄」の連載は今回で132回で、もう13年間ほぼ毎月書き続けている。この連載が何なのかは自分でもよくわからないのだが、開始したときに決めていたのは、完成を見込まないということだった。それまでの僕は、1年に1本の批評文を発表するという見込みで、面白いことを言うつもりで書いていた。しかし、そのような書き方では自分の求めるものは書けないという直感があって、自分としては(あくまで「自分としては」)得意と思っていた書き方を、すべて放棄することにした。一人称を使わず、奇抜な発想を抑制し、攻撃しないように、カタルシスが生じないように、文章が「物」として存在するように書きたいと思った。面白いことを言わなければならないという意識を捨てたところで何が書けるか。果たしてそんなふうに自分は書き続けることができるのか。自分がそのつもりでも版元が認めてくれるか。SNSの時代に、SNS的なやり方とは真逆の在り方で、批評は存在することができるか。そういうことは13年間毎月、というか毎日ずっと思ってきて、きっとこれからもそんなふうにやっていく。
と同時に、今回の鼎談を経て思ったのは、かつて自分(たち)が考えていたことを、改めて考えてみるべきではないかということだった。結局、鼎談で自分が言っていることは、13年前となんにも変わっていなかった。そして、勤務先の大学で出会う若い人たちが、たとえば柄谷行人を読んでいたり、蓮實重彦を読んでいたり、杉田俊介に強く惹かれたり、「フリーターズフリー」関連文書を読み漁っていたりするのを見ると(これらはすべて別人である)、かつての「批評」の水脈は絶えたわけではないという感じがしている。この秋頃からそういうことを少しずつ考えていこうと思っている。