大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

近況

 今月で「新潮」の「小林秀雄」の連載は百回になります。

 当初の予定では、小林の代表的な著作を数ヶ月に一回、ないしは不定期に論じて、数年で連載を終えるつもりでした。しかしなぜかそうはならなかった。我ながら不思議です。

 不思議と言えば、百回も書いたという感じがしないのも、やはり不思議です。

 連載の開始は2013年で、あれから十年経ち、色々なことがあり、「思えば遠く来たもんだ」(中原中也「頑是ない歌」)という感じもあるのですが、「10年たって彼らはまた何故ここにいるのか」(福満しげゆき)という感じもするのです。

 書くとか、考えるとか、記憶とか、意識とか、そういったものはおおよそ、物理空間の出来事ではないのかもしれません。ここがどこなのかよくわかりませんが、日々の営みのなかで、そんな様々なことを無限回も繰り返すことは、狂おしくもあり、愛おしくもあり、生きるということは謎であるという感慨を、ますます禁じえません。