大澤信亮

批評家・日本映画大学教授

近況

 今月で「新潮」の「小林秀雄」の連載は百回になります。

 当初の予定では、小林の代表的な著作を数ヶ月に一回、ないしは不定期に論じて、数年で連載を終えるつもりでした。しかしなぜかそうはならなかった。我ながら不思議です。

 不思議と言えば、百回も書いたという感じがしないのも、やはり不思議です。

 連載の開始は2013年で、あれから十年経ち、色々なことがあり、「思えば遠く来たもんだ」(中原中也「頑是ない歌」)という感じもあるのですが、「10年たって彼らはまた何故ここにいるのか」(福満しげゆき)という感じもするのです。

 書くとか、考えるとか、記憶とか、意識とか、そういったものはおおよそ、物理空間の出来事ではないのかもしれません。ここがどこなのかよくわかりませんが、日々の営みのなかで、そんな様々なことを無限回も繰り返すことは、狂おしくもあり、愛おしくもあり、生きるということは謎であるという感慨を、ますます禁じえません。

近況

先日、一緒に暮らしていた猫が急死した。十一歳だった。朝は元気だったのに、帰ってきたら目を見開いたまま固くなっていた。体はまだ少し温かった。

最後の二年半は糖尿病になっていて、そのほとんどをずっとふたり(一人と一匹)で過ごしていた。一時は歩行困難なまでに悪化し、血糖値がかなり上がり、目を覚ましたら死んでいるのではないかという不安な日々が何ヶ月も続いた。かかりつけの病院に何度も通い、その先生に紹介してもらった動物の糖尿病の専門医の先生のところにも通った。体質に合うインスリン薬、その量の調整などが決まるまで、半年ほどかかったと思う。大好きだった食事も、かわいそうだがロイヤルカナンの糖コントロールに変えた。

毎日の朝と夜の注射。トレシーバのペンフィルに、ロードーズの注射針をさして、ピストンを引いて薬を吸い、首の後ろを指先でつまみあげ、針をさす。アルファトラック2という、猫用の血糖値を測定する機械があって、耳の血管に針をさし、血を出させて、素早く装着したテスター用紙で血糖値を測る。血糖値というものは、下がると反動で逆に上がるので、高血糖だからといって多く投与すると、一気に下がったあと、逆に跳ね上がってしまう。その値を調べるため、四時間に一度くらい同じことを、どれだけ続けたか。こちらが眠ってしまうとまずいので、目覚ましをかけるが、心配で眠れない。一度、血糖値を下げすぎてしまって、体が痙攣して呼吸が荒くなり、舌がダラっと出たことがあった。急いで砂糖水をスポイトで口に注入し、先生に急診の電話をかけて、ひたすら祈っていたら回復した。階段を登れなくなり、高さ数センチのトイレに跨いで出入りすることさえ困難になった時期もあったから、ある日、かかとを上げて歩いているのを目にしたときは、嬉しくて涙が出た。その後は順調に回復していった。

この一年半ほどはずいぶん体調が安定していて、毎月の病院での血液検査の数値も良かった。昔みたいに高く跳んだり速く走ったりはもうできなくなってしまったけれど、ベッドに飛び乗るくらいはできて、腕枕をしてきたり、股の間に入ってきたりして、いつも一緒に寝ていた。こんなふうに寿命まで生きていくのだろうと安心していた。人間以外の動物と暮らしたのは初めてだった。自ら望んで始まった猫との生活ではなかったが、こうなってみると色々な光景が思い出され、私のほうが心臓がおかしな鳴り方をしたり、息ができないほど呼吸が乱れたりして、生きた心地がしない。

部屋を閉め切って、遺体がいたまないように室内の温度を最低まで下げ、冬用のコートを着込んで朝までずっと撫でていた。撫でながら仕事をした。いつもはキーボードを叩いていると、腕に乗っかってきたり、体を寄せてきたり、鳴き続けて邪魔をしたあと、諦めて横で寝ていた。それでも仕事はしなければいけなかった。そんな風にやってきた自分を、最期に見せなければならないと思った。冷たく固くなった体は怖くもあったが、体毛を見ていると眼の錯視だろうか、どうも腹が動いているようにも見えて、温めれば生き返る気もした。発見した場所が私の枕元だったこともつらい。不調を感じて私に助けを求めてきたのだろうか。猫の最期は悲惨な状態が多いと聞いていたから、それまで体調不良もなく、失禁も吐瀉もほとんどなかったのは、死に方としては楽だったのかもしれないとも思うが、気休めではある。

すでに火葬して骨壷に収まっているが、眠ると夢に出てきたりするし、股の間に乗られた感じがして、目を覚ましてもいない。部屋には抜け毛が、小さな綿飴のようにちらばっていて、見つけるたびに丸めて遺影の前に供えている。生きていたときの習慣が体から抜けず、通れるようにドアを開けてあげたり、いつも隠れていたソファーの後ろを無意識に見てしまう。部屋に転がったトイレの砂でさえ、生きて動いていたときの名残のような気がして、掃除するのに覚悟がいる。注射の時間が気になり、もう必要ないんだと気づいて、必要がないという言葉の残酷さを感じる。

こういうことがあっても、生きていかねばならないし、生きていけてしまえる。そのことが本当につらい。肉体が消えるという同じ経験を、いずれ自分もするのだろうと思うことが、わずかな慰めになっている。肉体が消えたあと、「虹の橋の袂」で再会できるという温かい物語を、私はどうしても信じることができないのだが、肉体とともに意識も魂も消滅するという常識に、どうも心からは納得できない。人間の言葉と思考でそこに迫れるものか、そもそも迫る必要があるのかもわからないのだが、引き続き考えていきたい。

 

今月発売の「すばる」10月号に、「すばるクリティーク賞」の最終回(現時点)で佳作だった、荒川求実「主体の鍛錬──小林正樹論」が掲載されています。選評は同誌2022年2月号で語っているので繰り返しませんが、とにかく掲載まで諦めず書き直し続けたのは見事です(伴走してくれた編集者も)。トリッキーなメディア分析でもなく、高踏な表象分析でもない氏の映画評は、「現代的」ではないかもしれません。しかし、他者の批評を真っ向から受け入れることのできる氏の資質、対象を手際よく分析するのではなく、対象から自らを問われるところから書く氏の資質は、僕の考える批評の本流を継承しています。初心を忘れず頑張ってください。掲載おめでとうございます。とても嬉しい。

近況

ご無沙汰してます。

コロナは大丈夫でしょうか。僕は2回目のワクチン接種で熱が出たくらいです。

今月の仕事はこんな感じです。「小林秀雄」第79回(「新潮」11月号)、「新潮新人賞選評」(同)、「古層探偵」第8回(「武蔵野樹林」8号)。「すばるクリティーク賞」の一次選考。年内に刊行予定の『非人間』のゲラ直し。飯田博久さんの書いている小説の編集(とそれに関する手紙のやりとり)。あと大学の仕事。

今の社会について考えていると、昭和維新が自然に思い浮かぶ。この期に及んで私利私欲を貪る為政者や権力者は、かつてなら国賊として天誅を加えられたはずで、本当はもうそれしかないのかもしれない。もはや「正しい批判」でどうこうできる段階とは思えない。このような暴力の感触を失うこと自体、大局で暴力に加担することでもある。

でも僕は暴力は認めたくない。殺すことと紙一重の生かす言葉を求めたい。

その意味で、オウム真理教事件やその後の無差別殺人事件には、今なお考えるべき何かがあると思っている。あのあたりで社会批判としての暴力が骨抜きにされた。それと同時に暴力批判も社会的に骨抜きにされた。その結果、一見すると個々の責任や偶然に見える死が野放しになり、それが現在のコロナ下における死者に直結しているように思える。コロナで亡くなった人のみならず、すでに生活困窮者(とくに女性)の自殺は増加していて、今後、生活が立ち行かなくなった人の自殺はさらに増えるだろう。その現実の前で僕は文化的おしゃべりを続けたくない。だからずっと黙っている。けれども、君が最後まで期待してくれた仕事については、ちゃんとやろうと思っている。

 

近況

 ご無沙汰です。この間コロナ下でせっせと仕事しています。今月はこんな感じ。「小林秀雄」第69回(「新潮」11月号)、「新潮新人賞選評」(同)、「非人間」最終回(「群像」12月号予定)、「古層探偵」第5回(「武蔵野樹林」5号)。大学の仕事。

 旅行も温泉も食事も行けなくなってしまって、糖尿病の猫に毎日インスリン注射を打ちながら、ほとんど誰とも話すことなく、月に百枚とか原稿書いて、もっときつい人がいくらでもいるのもわかっているし、仕事があるのは本当にありがたいんだけど、

「ぼくはぜんぜんなにもしたくない。ぼくは馬に乗りたくない──これは激しすぎる運動である。ぼくは歩きたくない──これは骨がおれすぎる。ぼくは身を横たえたくない。なぜなら、ぼくは横たわったままでいるか──これはいやだ──、それともふたたびおき上がらなくてはならない──これもいやだ──からである。けっきょくのところ、ぼくはぜんぜんなにもしたくない」(キルケゴール『あれか、これか』浅井真男訳)

 朝から一日中この本を読んでいた。正確には眺めていた。『あれか、これか』は11ヶ月で書き上げられたという。著作集で上下それぞれ2冊ずつ、つまり単行本で4冊分。信じられない速さだ。それだけレギーネとのことが大きかったのだろう。『死に至る病』その他のキルケゴールの問題意識は、全部この最初の本にあるのだと改めて思った。その内的なつながりは本当のところはわからなかったけれど、「正しくない──これ以上に苦痛な感情が考えられるだろうか?」、この「苦痛な感情」を妥協なく促し励ますものとしてキルケゴールにはキリスト教があったのだなということだけはわかった。

 コロナの次は何だろう。富士山噴火とか、戦争とか、異星人の襲来とか。十年前は地震原発で、その十年前は就職氷河期で、それはまあ大変だったけど、今はもう運動自体がないし(あるのか?)、箱根の対星館もないし、霧ヶ峰のウシもいない。

 でもさ、頑張ろうよ、頑張ろうぜ!

新年

あけましておめでとうございます。

報告が遅れましたが、先月から「新潮」の「小林秀雄」第二部を再開しています。今月の「すばる」には「すばるクリティーク賞」の選考結果(受賞作なし)と選考会が掲載されています。昨年10月には「武蔵野樹林」に「古層探偵」の第三回も掲載。

今にも戦争が始まりそうな現下、昨年国内で起きた複数の通り魔的な殺害事件、肉親の殺し合いなどを想いながら、かつて大塚英志さんが述べた、「「反戦」とは「殺されたくない」でも「殺すな」でもなく「私は殺さない」という選択に他ならない」という言葉を思い出しています。ただし、それは「選択」できるものではなく、「殺すも殺さぬも物のはずみ」(小林秀雄)という残酷な偶然性に曝されるなかで、諸個人それぞれが自らの血と涙を代償として辿り着くほかない、人性の「必然」だと僕は感じています。

それでは本年もよろしくお願い申し上げます。

近況

 7月に発表した「上田岳弘論」、「Yahoo! JAPAN」のサイトに掲載されると書きましたが、遅れているようです。進めているという連絡はあるのでいずれ載るはず。

 今月の仕事は、新潮新人賞の選考会(一昨日終了)、「武蔵野樹林」の「古層探偵」第三回(古歌・中篇)、なかなか終わらない「群像」の犯罪論(現時点で400枚近くあり、大幅に削ることになりそう)、「すばるクリティーク賞」の一次選考等々。

 「小林秀雄」の連載再開は新年号の予定。休載中に『モーツァルト全集』、『伝説の録音』、小林が直接言及している音盤(の周辺も)、モーツァルトのいわゆる名盤などを聴きました。合わせて4000曲くらい。予備知識をほぼ入れずに浴びるように聴くという素人的なやり方で、自分の無力さと研究・批評のありがたさを痛感するばかり。

 とはいえ、長年の謎だった、小林が「弦楽五重奏曲第4番ト短調」(K.516)について、「疾走するかなしさ」と書いたときに頭に鳴っていた演奏を発見できた(気がする)し、ヨハン・クリスティアン・バッハに対するモーツァルトの批評的関係にも注目できたし、グレゴリオ聖歌「平和の讃歌第9番」からモーツァルトの「主の御憐みを」(K.222)へ、それがベートーヴェン「第九」に至る流れなども考えるきっかけになりました。原稿に生かせるかわかりませんが。ナタリー・デセイの歌うアリア「いいえ、あなたにはできません」 (K.419)は、歌曲のなかで一番好きになりました。歌詞もいい。

 30代の後半から予兆はありましたが、40歳を超えたあたりから時間の感覚が完全におかしくなってきて、文字通り十年一日みたいな感じです。「重てえな 俺の体の…何もかも」(『バガボンド』)。それでも今日は「かみくら」で、今年最初の大間と秋刀魚、今年最後の新子と新烏賊を食べました。そんな日があってもいいだろう?

最近の仕事

 本日発売の「新潮」8月号に「小説の究極 上田岳弘論」(80枚)という批評文を書きました。単独の現代作家論は、「ロスジェネ」最終号に書いた浅尾大輔論以来、9年ぶりになります。現代小説について書くことはもう二度とない、とくに、単独の作家論は浅尾論が最初で最後と思っていたので、自分でも驚いています。同時代の人間について書くためには、作品の優劣を超えた「宿命」のようなものが必要で、僕は上田さんにそれを感じたということです。少なくとも、僕は今後もう現代作家論を書くつもりはありません。これが最後のつもりで書きました。そして書く以上は、最高の、究極の作家論にしたいと思いました。難解な上田作品を理論的・歴史的に明晰に読み解き、かつ同時代のカルチャーや思想や事象と交差させつつ、現在において真に考えるべき問題を提示する。何より、この批評文それ自体が、小説に拮抗する「面白い」文章であること。それが実現されているか否かを読者に問いたいと心から願っています。ぜひ読んでみてください。

 なおこの上田論は近々「Yahoo! JAPAN」のサイトにも無料で全文公開されます。

 同時に掲載されている高橋一生さんと上田さんの対談も、有名俳優と芥川賞作家の販促コラボというありがちな企画ではまったくなく、とても真摯で重要な対話になっていると思いました。上田さんが今まで行ってきた対話のなかで一番いいと思います。

 別件。この間「武蔵野樹林」という雑誌で「古層探偵」という連載を始めました。日本の古歌、ミシャクジ、縄文、中国古代文字、洞窟壁画、エジプト文明メソポタミア文明などの考察を通して、「人類の殺人」を探偵するという構想の批評です。それから、約束から8年近く経った「犯罪論」も、ようやく完成が見えてきました。「すばる」の連作批評も次回か次々回で終わる予定です。中断している「小林秀雄」の連載再開はまだしばらく先になると思います。当初は8月頃再開の予定でしたが。すみません。

近況

 今月発売の「新潮」9月号で「小林秀雄」第一部が完結します。

 5年ほど、ほぼ毎月連載を続けてきました。おそらく現時点で400字詰原稿用紙で2千枚を超えているはずです。こんなことになると思っていなかったので、自分自身が驚いています。しかし、今までのようには書かない、書き方そのものにおいて自分を先に進める、ということは連載開始時から決めていました。決めたというより、小林秀雄という存在に対峙するとは、そういうことなのだと。結果、今まで自分が大切にしてきたものをその都度捨てながら、何かがむき出しになってきた感じがします。読みやすい文体、劇的な構成、自分のことのように感じられる問い、そういったものは今の自分には本当のことに思えない。生きるとは批評することですが、批評文を書くことが批評ではない。大切なのは前者であり、その途方もなさを感じ続けること、その行為としての言葉の使用が、結果として作品となることがあればいい。そう思っています。

 連載は2019年のいずれかに再開する予定です。

 その間いくつかの文章も発表するつもりです。なかなか書き始めることが出来なかった犯罪論、「すばる」の連作の最後、角川財団が創刊する新雑誌での連載など。いずれも掲載がいつになるかわからないので、気に留めておいて頂けると幸いです。

映画『大地を受け継ぐ』

井上淳一監督の映画『大地を受け継ぐ』が劇場公開された。

数年前、東日本大震災について「出日本記」(『新世紀神曲』所収)を書いたとき、私が考えていたのは「自殺した農家の男性」のことだけだった。

地震原発についてなら書くことも語ることもできる。しかし、震災にさいしてもっとも衝撃を受けたこの出来事については、書けない。「もう作物を作ることができなくなった」という理由で自ら死を選んだ人がいる。ここから始めなければ意味がないのに、それを語ろうとすると、自分が生きてしまっていることへの自問が生じる。それで、何も書けないまま、一年くらい、毎週のように自堕落に温泉に通ったり、否応なく与えられる勤め先の仕事をしたりしていた。

この映画の主人公の樽川和也氏は、自殺した男性の長男である。

樽川氏は放射性物質に汚染された父の農地を「受け継」いだ。それは「有害な食べものを他の人に食べさせている」(現実には厳しい測定のため放射性物質が含まれているものは出荷できないのだが)という「罪」の意識を受け継ぐことに他ならなかった。父は弱かった。何も死ぬことはなかったのに。だが、そんな弱く優しく誠実な心が、最高の食物を作り出していたのだ。氏は東京電力や政府の対応を厳しく批判する。それは絶対に必要なことだ。しかし、父が死を選ぶほど拒絶したことを、自分はやっている。そうやって生き延びてしまっている。おそらく、樽川氏を真に苦しめているのはこの矛盾であり、それは賠償では決して解消されない。にもかかわらず、氏の言葉や表情の重みを深めているのが、この矛盾と罪の苦痛であることもまた疑えない。現場を捨てて逃げた人間、正確には、何も「捨てる」ことなくたんに移動できたため、事件の前後で矛盾も葛藤も生じない人間には、思い及ばない世界だろう。

人生を省みて、あのとき死んでいればよかったと思う瞬間があって、その思いは時を経て強まるばかりなのだが、それでもこうして生きている。かつては閃きで書いていたが、今は、与えられた環境と、時折耳目に入る励ましに感謝しつつ、自分でも毒か薬かもわからないまま、毎月、祈るように書いている。

そんな自分の現在を樽川氏に勝手に重ねて観た。きっと同じように無数の人が自分を重ねて観るだろう。

東日本大震災についての映画は、震災後、おびただしい数が作られた。大小合わせれば数千本と聞いた。この映画は、映像としての派手さはないし、震災についての知識を得るという意味では、より相応しいものが他にあるかもしれない。だが、私の問いを正面から受け止めてくれる映画は、これしかない。

樽川氏が悲惨な出来事について語るときの歪んだ笑顔が忘れられない。首を吊った父を発見したときのことを、氏は、震える声で感情を押し殺すように笑顔で話す。涙を引き継ぐのは子供たちである。一人の男子学生の目から涙がこぼれる。女子学生はうつむき鼻をすする。こうした場面がこの映画には無数にある。これらは映像以外のどんな表現でも描くことができない。必要なのは知識や情報ではない。感情の伝達なのだ。

ではその逆はどうだったか。樽川氏が子供たちの感情に伝染され、氏の生に別の光が差し込む瞬間は記録されていたか。上映中に再度確認したい。

今月の仕事

今年もよろしくお願いします。

以下、今月の仕事です。

連載「小林秀雄」第29回(「新潮」2016年2月号)。

浜崎洋介氏との対談「生きることの批評」(「すばる」2016年2月号)。

藤野可織氏『爪と目』(2015年12月23日刊行)の文庫版解説。

小林の連載は、日中戦争からノモンハン事件を経て、ついに第二次世界大戦に入りました。日独防共協定を無視しての独ソ不可侵条約、その直後のポーランド侵攻(第二次大戦勃発)という流れは、国家間における条約や協定の意味を改めて考えさせられます。また、話のいきがかり上、アウグスティヌスの『告白』と『神の国』を読み直しました。前者は山田晶氏訳が素晴らしいです。人を殺すことに苦しんだパウロの罪の意識がキリスト教を創り、その三百年後、十五年連れ添った内縁の妻を捨てても止まぬ情欲に苦しんだアウグスティヌスがそれを固めたとすれば、キリスト教脱構築するとはどういうことか。

浜崎さんとの対談は、箱根の温泉旅館「福住楼」で、14時間に渡って(帰りのロマンスカーも含めて)行われました。浜崎さんと会うのは初めてでしたが、古い友人と語り合うような心が通った対話になりました。改めて浜崎さんに感謝します。誌面に反映されたものは、たくさんのことを話したなかの本当にごく一部なのですが、ちゃんと話している感じが出ている、よいまとめになっていると思います。分量だけで言えば、会議室で2時間も話せば十分なところを、じっくり温泉で話したいという希望を快諾して頂き、長時間に渡る対話に同席し、自らそれをまとめてくれた担当の努力のたまものです。この「すばる」には「批評を載せる」という編集者の思いが漲っており、他の著者の文章も気合が入っています。そうそうあることではないので、ぜひご購読を。

藤野さんの本の解説は「波」に寄せた書評の再録です。

三年目になる映画大学のゲスト講義では、思想家の前田英樹氏をお招きすることになりました。それで年末は氏の著作を読み直していたのですが、未読だった『ベルクソン哲学の遺言』に感動しました。ベルクソンについてベルクソンのように書かれたこの本は、読む者自身をベルクソンのようにしてしまう。これは僕の思う理想的な本の在り方なのですが、それが実現されることは極めて稀です。ベルクソンは大学時代にドゥルーズ経由で読みましたが、今は小林経由で読み直すなかで、そのすごさが改めてわかってきた気がします。ベルクソンの思考は驚くほど単純ですが、問いの立て方と答え方、あるいは「生きていること」への感度の強さにおいて、僕にはとてもしっくり来ます。あまりにしっくり来るので、むしろ批判的に見る必要があるかもしれない。

年末は友人たちと恒例の食事をし、朝の築地を回ったあと、上野動物園に行きました(目当ての国立博物館は休館中)。互いに無関心に草を食む猿たち、その間を走り回る子猿たち、群れの外れで睦み合う猿のペアなんかを見ながら、クラナッハの「黄金時代」を思い出していました。静謐な時間でした。

最近の仕事

箱根が心配ですが、久しぶりの更新です。

この間の「小林秀雄」の連載の見出しは、19回(登山とスキー、深田久弥、「私小説論」)、20回(純粋と通俗、「思想と実生活」論争、中野重治)、21回(中野重治(続)、創元社)、22回(アラン、菊池寛)。次回は日中戦争と「「日本的なもの」の問題」について書くことになると思います。

連載以外の仕事は以下。いずれもまだ刊行されていませんが、数ヵ月以内に刊行されるはずです。

野呂邦暢『失われた兵士たち 戦争文学試論』解説(文春学藝ライブラリー)
小島信夫『城壁/星 小島信夫戦争小説集』解説(講談社文芸文庫
北大路魯山人魯山人の真髄』解説(河出文庫

今月の仕事

「新潮」2月号の「小林秀雄」第18回は「ドストエフスキイの生活」について書きました。

「すばる」2月号に「私批評」という批評文を書きました。単独の批評文としては2年ぶりです。なかなかひどい感じですが、力を尽くしたものでもあり、認識的な発見もありました。べつに勉強にはなりませんが──教訓はあるかもしれない──こういう文章を面白がってくれる読者がいることを切に望みます。

昨年末の映画大のゲスト講義では、郡司ペギオ幸夫氏をお招きしました。講義はたいへん面白く、打ち上げでは何度も爆笑しました。

利用中のプロバイダーサービスの終了に伴い、間もなくホームページがつながらなくなります(いずれべつのプロバイダーで復活させるつもりです)。

色々あっても「猫の生活力」(ドストエフスキー)で何とか生きています。

最近の仕事

このところ更新が滞っていたのでまとめて報告します。

「新潮」10月号の「小林秀雄」第15回は林房雄と喜代美夫人について、11月号と12月号(第16回と第17回)は2回にわたって小林の戦前のドストエフスキー論について書きました。『永遠の良人』、『未成年』、『罪と罰』、『白痴』、(『地下室の手記』)、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』。小林がこれらの作品をどのように読んだのかを追っています。同時に、ドストエフスキーを読んだことがない、あるいは読もうとして断念した人への導入になるように心がけました。

12月発売1月号は新年号のため連載は休載です。

今月の仕事

「新潮」9月号の「小林秀雄」第14回は、1933年前後の日本共産党と「転向」について書きました。

 この連載は小林秀雄という人を描くことを目標にしていますが、小林について知ろうとすると、小林の生きた時代について知らなければならない、ということが多々あります。また、連載ではあまり言及できなかったが、あらためて読み直すと「いい」と思える作家がいます。たとえば、広津和郎本多秋五、次回で言及する林房雄などは、以前とはずいぶん違った印象で読めました。今回の本多について言えば、鶴見俊輔らによる『共同研究 転向』の書評で、この本の自由で実証的な姿勢とその成果を最大限に評価しつつも、〈まだ本当に書きたいことが書けたという気がしない〉と言い、1939年の秋に宮本百合子が新聞に発表した「犬三題」という文章についての〈思い出話〉を書いています。このエッセイは、三匹の犬を、共産党員、プチ・ブル、ブルジョアに見立てたもので、本多は〈そのころ東京逓信局という役所につとめていて、その役所の一隅で読んだのだが、こみ上げてくる笑いを、愉快に笑って話し合える友はそこに一人もいなかった〉と書いた上で、こう続けます。〈私はもちろん、宮本さんのように堂々とも毅然ともしていなかった。ただの小役人であった。しかし、彼女の一日たった三枚ほどの文章は、そこに「旗」がある、と思わせた。奪われも倒されもせず、そこに「旗」があると思わせた。その時代にそう思うことは、無限の強みであった。/『昔の火事』という小説があった。もう四〇年に入ってからの小説であった。わけのわからぬ、どこにも宮本百合子らしい骨の見えない小説であった。しかし、御時勢に恭順の意を表した文句はカケラもなかった。「旗」は見えかくれにはなったが、まだあそこに確かにあるのだ、と思えた。それは強みであった。/この話と、共同研究『転向』上巻と、どういう関係があるか、私にもよくわからない。しかし、私はこのことをここに書き添えておきたいのだ〉(「共同研究『転向』の書評」)。本多は鶴見らに「そこに人を励ます旗はあるのか」と問うているのです。いや、転向について書く者たちすべてに。

今月の仕事

「新潮」8月号の「小林秀雄」第13回は、「Xへの手紙」について書きました。

 以下の文章は、「文學界」8月号に掲載される予定だった、杉田俊介氏『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』の書評です。担当とのやりとりは順調に進んでいたのですが、ゲラの再校の時点で、編集長から「通常の書評に近い形へと変えてほしい」という要求があり、それを僕が受け入れなかったため、先方からすれば「掲載拒否」、僕からすれば「掲載取り下げ」という結論に至りました。

 私信

 すでに私は、この本の書評を六月八日付の産経新聞に書いており、それは今のところネットで無料で読める。紹介的な概要についてはそちらを読んで頂きたい。いきなり私事で恐縮だが、この一年、なるべく書評を受けるよう努めてきた。そういうことも含めて文学の現場に関わろうとしてきた。だが今回を最後に辞めることにする。だから同じことを繰り返したくない。一言だけ言えば、これを読まずに何を読むのか、そういう本である。
 読んでいて何回も涙が出た。「すばる」(六月号)の「長渕剛試論」や、「支援」四号の「弱さという生業」の草稿を読ませてもらったときも。もう『無能力批評』から六年か。その間、「書くことからの引退も考えている」なんて言葉も聞いていたから、この数カ月の間に杉田さんの文章が矢継ぎ早に発表されたことは、とても嬉しい。それらは一つの核を共有しているように思えた。人が自分の弱さに向き合うということ。でもこれは途轍もなく難しい。誰だってダメな自分を見たくないものね。だから、たとえば、強さや、情報や、娯楽や、仕事や、恋人や仲間や子供や、言葉に逃げようとする。それは時として、素晴らしい成果をもたらすけれども、本当にすごいものって、そういうものじゃないんだよね。
 生きていることのどうしようもなさ。それ自体を生存の原理として見出すこと。そんなことがもしできたら、きっと、生きるということの意味が、コペルニクス的に回転するだろう。たとえば地球の歴史はしばしば弱肉強食としてイメージされる。でも、よくよく考えれば、個体としては強者どころか、むしろ未熟な状態で生まれて来る人類が、地上に生きることを許されたのは不思議だ。それは知性が強かったからだ、と考える人もいるかもしれないけど、では人間社会が弱肉強食かというと、そうでもない。むしろ、人類の歴史を見れば、一時的な社会的強者が、普遍的な社会的弱者に浸食される、しかもそれによって結果的に、強者的存在の生活それ自体も豊かになる、そんな風になっている。貴族と平民もそうだし、健常者と障碍者もそうだ。あるいは個体としては、時代に限定された強者が、快適に生を送るかもしれない。でも、人類史的に意味があるのは、弱者の方なんだ。
 この不思議な動力を杉田さんはつかもうとしている。それこそが生きることに苦しむすべての存在にとって本当の光になると。それが社会を根本から革命する原理になると。この希望はこの『宮崎駿論』にも通じている。
 宮崎駿の「自己嫌悪」に、杉田さんは自分を重ねている。自分は醜く下らない存在である。そんな自分への絶望が、少女、女性、子供への期待を生む。これが宮崎さんの精神構造ですね。これを救えなければ書く意味がない。映像分析や作品のトリビアみたいなのは根本的にどうでもいい。そういう姿勢で杉田さんは書いている。この愚直さがいいと思いました。そもそも僕は、宮崎作品がそんなに好きじゃないから、こういう「問い」が提示されなければ、何も考えなかったと思う。他にも、育児やヘルパーを通して熟成されたと思われる感覚や認識がたくさんあって、それは杉田さんらしくて、胸がつまりました。
 気になったのは論の進め方です。宮崎作品の良いところと悪いところを峻別し、前者を徹底せよと繰り返す論調が、杉田さん自身の主張を裏切っていないだろうかって。もちろん、これは粗雑な言い方で、杉田さんは良い悪いを区別しているのではなく、自己に閉じようとする宮崎さんを、執拗に開こうしている。ソーニャやアリョーシャがキリストに倣ってそれを行ったとすれば、杉田さんは自然の動力に即してそれをやろうとする。でも杉田さんと彼らは何かが違う。なぜだろう。
 杉田さんは本当に宮崎駿の苦しみに寄り添えているんだろうか。人間が骨の髄から腐っているということ。持ってはいけない欲望を持たされ、それを実現させないために耐え続けることで自己嫌悪を日々醸成し、そこに永久に救いはないということ。そういう苦痛が杉田さん自身にあるんだろうか。あるとは思う。でも、僕の感じでは、それを本当に痛感している人は、他人に対して「欲望を肯定せよ」とは決して言わない。むしろ禁止の言葉を言う。それに対して、杉田さんはどこか、安全な場所から言っている気がするんだ。
 杉田さんと今までもめてきた相手たちは、こう思っていたんじゃないか。なんであなたの期待に応えなきゃいけないの。その前におまえが生きろよって。大の大人ならともかく、倫生君が「お父さんは本当は僕に何かが足りないと思っているんだ」と感じてしまうとつらいんじゃないかと、少し心配です。
 杉田さん自身がそれに気づいているからこそ、「弱者暴力」(弱いものを愛する心がそれゆえに振るう暴力)が、繰り返し警戒されるんだろう。それが杉田さんの弱さなのでしょう。杉田さんは、倫生君が入院したときの自分の取り乱した弱さを語るけど、それはとくに固有の弱さとは思えない。それよりも、子供に対する過剰な思い入れに、不吉な予兆を感じる。自分が空っぽだからこそ、自分の外に愛するものを求め、それを思い通りにしたいという欲望。それが批評なのか。わが子が生まれたという決定的な出来事から放射される光。僕には眩しい、眩し過ぎる光。その光さえも杉田さんを変えることができなかったのか。違うと思う。僕は杉田さんの語りの微細な変化に福音を感じる。変えられないという絶望を味わったとき、より宮崎さんに近づけるのだとしても、あの杉田さんの喜びはきっと、もっと先の何かに届いている。だから杉田さんは宮崎さんと戦おうとしたのでしょう。寄り添うことを超えて。それでいい。自分の子供が誰かを殺してしまうかもとか、自分を殺しに来るとか、余計なことを怖がらず、あの喜びで全身を満たしながら、新しい書き方を見つけていけばいいんだ。きっとできる。
 紙数が尽きました。もともと連絡が途絶えがちだったけど、この半年近くは電話もメールもしてませんね。でもこれでいいと思う。