大澤信亮

批評家・日本映画大学准教授

東浩紀氏との公開対談について

0 雑誌掲載の拒否について

12月7日に行われた、日本映画大学の講義「ジャーナリズム論」における東浩紀氏と僕(大澤信亮)の対談は、雑誌「文學界」2014年2月号に掲載されることで、双方の了解を取っていました。対談自体は非常に荒れたものの、終了後も、東氏は掲載を承諾していました。が、翌日になって突然、「文學界掲載なしで」とのメールが氏から僕に届き、雑誌掲載については版元が責任を負うという当然のルールから、「文學界の方にお伝えください」と返すと、「いや、きみの責任でよろしく」と返ってきたので、再度「僕が関わる余地はないと思うのですが」と返すと「はいはい」というメールが届きました。僕は、掲載を約束して公開で行った対談の活字化を反故にするのは、言論人としてあるまじき振舞いだと思うので、そのような行為を許した覚えはありません。ただ、著作権上、一方の拒否があれば受け入れざるを得ないので、やむなく了承しただけです。

しかし、東氏は、自分で掲載を反故にしたにもかかわらず、失態を恥じるどころか、それを取りつくろうために、事態を一方的に語っています。これはおかしな話ですし、あの場で生じた出来事をなかったことに、あるいは嘘にしてしまうので、あくまで僕の側からですが、あの対談について説明責任を果たさせて頂きます(公開対談の批評という性質上、引用は必要最小限に止めたため、表記を簡略化した箇所もありますが、語句自体は原則として音声から起こしています)。

1 議論の出発

僕は「復活の批評」発表時、東氏が雑誌の刊行前にこの論文の批判キャンペーンをツイッター上で行ったことが、とても不愉快でした。早めに届く関係者しか読めない状態で、一方的にアングルを作ってしまうことは、不公正な態度だと思うからです。とはいえ、そのような反応が現れるのもまた論争の一面かと思い、これ自体は仕方のないことと考えていました。ところが、東氏は自分の作る「思想地図」が発売前に会員に届き、その方が批判的なツイートをしたとき、刊行前に批判するな、と怒りました。これは単純におかしいと思いました。僕はこの種のダブルスタンダード(自分がやるのはいいが、他人がやるのは許さない)が、氏の言論の核心にあると感じていたので、それについて氏がどう考えているのかを聞くことから始めました。ここを聞いておかないと、以後の対話がすべて、虚しくなると思ったからです。すると氏は「前者は個人的宛先として批判されたものへの反応であり、後者は版元としての反応だから、別のレイヤーの問題だ」と答えました。そして「こんなシケた小さな問題ではなく、もっと大きな普遍的な問題から始めたほうがいい」と。しかし、僕には、東氏の言い方は詭弁にしか聞こえませんでした。僕の「宮澤賢治の暴力」は、振るわれるのは嫌だが振るうのは構わないという一般的な感覚を超えた、普遍的な「痛み」から出発したものでした。この痛みの感覚は、自分自身が予言した通り、年々強まっています。周囲を見ても、東氏だけでなく、あれだけオタクの「レイプファンタジー」を批判した宇野常寛氏がアイドル評論家となり、かつて「経済的自立は精神的自立の必要条件である」と迫ってきた鎌田哲哉氏が、それとはほど遠い生活を自分に許し、しかも、彼らが、そこに対する根本的な自己批評を欠いた言葉を流し続けているのを悲しく見ながら、「なぜ人は自分の言葉を真直ぐに自分自身に突きつけられないのか」という問いこそが普遍的なのだと、僕は確信しています。他人事ではありません。食べることの暴力を論じた僕自身の食生活が、人が聞けば驚くようなものだと思います。こういう、自分が自分を裏切り続ける経験を繰り返していれば、生きているのが嫌で死にたくなるに決まっている。この感覚は東氏にも通じるのではないかと思ったのでした。一見どんなに「大きな」社会問題やプロジェクトも、一瞬でネタ化し消費され風化してしまう。このサイクルの外から考えるためには、諸個人の意志や気質の差を超えて反復される、この強迫それ自体を普遍的な問題として把握し、そこから発言や実践を行うしかないのではないか、というのが僕が議論の出発にしたかったことでした。東氏は結局「それは僕が二枚舌だっていうことでいいですよ」と切り捨てるように言いました。以後の対話の急所で、この「二枚舌」が現れるのを見るとき、かつて「復活の批評」で書いた東氏の「内省の拒絶」の根がここにある、との思いを強くしました。

2 争点1 「ゼロ年代」の評価について

東氏は「1.大澤はゼロ年代の言論を無価値と言っている。2.しかし自分(東氏)はゼロ年代の言論に支えられている。3.だから大澤には自分(東氏)を論じる資格はない」という主張を何度も繰り返しました。この論理も僕にはまったく首肯できません。まず1はそう言ってよいと思います。しかし、2.東氏が本当にゼロ年代の言論とイコールなのかという問題があります。さらに3.かりにそうだったとして、東氏を「ゼロ年代」とはべつの視線で論じることは許されないのかという問題があります。東氏の主張の前提には「文学者には駄作や間違いはない。人生全体が一個の作品だから。つまり東浩紀の仕事の中で2000年代はゼロだと言ってるやつは、僕の仕事の意味なんて何一つ分かってない」という考え方があります。しかし僕は、すべての仕事がその思想家の表現であるとしても、そのすべてが肯定されるべきでもなく、むしろ、否定や検討において、その思想家を次の局面に進める性質の仕事もあると当然考えます。たとえば「復活の批評」は、「ゼロ年代」を否定する一方で、それとは違う可能性を『一般意志2.0』や『クォンタム・ファミリーズ』などの、氏の2000年代の仕事に見出そうとするものでした。しかし、東氏はこの姿勢を決して認めず、僕が「間違っていた」と認めなければ話せない、と主張し続けました。そのように主張する氏自身は、かつて『存在論的、郵便的』で第二期デリダを特権的に論じ、また、ある座談会で、柄谷行人氏に対し「ぼくは『探究』の初期はすごく高く評価していますが、後半はそうでもない」と語っています(「トランスクリティークと(しての)脱構築」)。これも僕には「二枚舌」に思えますが、指摘するのも虚しいのでいいです。いずれにせよ、話したいなら「ゼロ年代の言論」を肯定しろと言われると、そこに価値を認めないと言った瞬間に対話が終わってしまいます。僕はなんとか対話を続けたかったので、どう答えればよいのか悩み続け、それは会場では長い沈黙として現れました。それで問いの方向を変えようと思い、氏が3・11の後にゼロ年代の言論を否定していたことを根拠に、それを否定しても議論は可能なのではないか、と問いかけてみました。それに対する答えは、ゼロ年代の言論は「自分のもの」だから、それを「内部」から「本来は別の可能性に行くはずだった」と批判してもいいのだ、という、これも到底承伏し難い主張でした。こういうところにも氏の「二枚舌」はあって、同じ理屈で言えば、僕は氏が思想家・批評家と名乗る以上、そこは自分が関わる世界なので、言いたい事が出てくるわけです。しかし、内だからいい、外だからダメというのは、本当はどうでもいいことです。誰にだって批判する権利はあるのだから。ともあれ、僕自身も正面から答えていると思えず、結局、この問いに対して僕は最後まで明言を避けました。しかし、対話が終わり、掲載も拒否された今なら、明言できます。やはり「ゼロ年代の言論」は無価値です(付言すれば、2000年代には僕自身も関わった若年労働問題などの言論もあり、それらの価値を否定するわけではもちろんありません。また、僕が「無価値」と言った「ゼロ年代の言論」とは、そもそも宇野氏の『ゼロ年代の想像力』から来ている言葉で、当時の宇野氏が文化論だけですべてを語り、僕たちの若年労働運動を揶揄的に否定していたことへの反論として書いたものです。それを東氏がなぜか「自分のもの」「明らかに射程は僕なんだよ」と譲らない理由がわかりませんでした。対談後に「復活の批評」を読み直しましたが、僕が一貫して東氏を批判しているのは氏の「内省の拒絶」であり、どう読んでも「ゼロ年代の言論」は「若手の軽薄さ」を指しています。また、対談の場でも言いましたが、僕は出自がマンガ評論であり、サブカルチャー批評自体を無価値と言ったことは一度もありません。3年前の「復活の批評」のときもそうでしたが、こういう印象操作を繰り返していると、むしろダメになるのは自分自身の方だということがなぜわからないのか、不思議です)。

3 争点2 読者や客に対する眼差し

東氏はゲンロンカフェのお客について「ユーザーってある意味ですごいちゃらいもんだよ」と言いました。さらに「お客さんというのは、ある意味でほんとに驚きなんて求めてないんですよ。お客さんが求めてるのは安心感なんです。二千五百円を払って、自分が知ってる話を聞きたいんですよ」と言いました。それに対して僕が「でも、そうじゃないものを期待してるわけですよね」と聞くと、東氏は「そうじゃないものなんて、僕は期待してない。それはもう厳然たる事実としてあって、そういうことをやることによってプラットフォームを作って、別のことをやれるような体力をどう付けるか、ということを考えているだけですよ。そこでお客さんへの期待とか、それはほんとにないです」と言いました。あるいは僕が「福島第一原発観光地化計画」の「旅の終わりに」に言及したところ、東氏は、あれは「文学・哲学ユーザーのために書いてる」「ああいうのは絶対感動するんですよ」「あとがきってサービスじゃん」と言いました。僕はこの姿勢にまったく賛同できません。自分の本を読んでくれる、イベントに来てくれる、そういう人たちに向ける態度とは到底思えません。そうやって、自分から読者やお客さんを馬鹿にする姿勢でものを作り続ける一方、本当の自分は理解されないと嘆く態度は、言語道断に酷いものだと思います。何より、そうやって作っているかぎり、たとえどんなに数が刷けても、根本的に虚しいに決まっています。僕はこれまで、文学や思想の外を目指す氏の実践を、畏敬をもって見てきました。しかし、心の内では自分の本の読者を馬鹿にしつつ、そんな人たちでも飛び付きそうな企画を考えるというのは、誠実ではないし、知性の使い方を著しく間違えていると思います。東氏は、自分が文学や思想の外にいる他者に向き合っていると豪語するのですが、その実行の根っこに、こんなに醜く淀んだ精神があるなら、そんなものは他者に向き合っているなどとは到底言えません。他人を巻き込んだ単なる自己顕示に過ぎません。これは今に気づいたことではなく、うすうす勘付いていたこととは言え、それを本人に、目の前で、はっきりと言われたことは決定的で、今まで東氏の本を買ってきた自分を省みても、このような姿勢で作られている氏の本をもはや買う気になれません。作り手としての姿勢に倫理的に腹が立つというだけではありません。どんな気持ちで作っていても、商品・サービスとして優れているなら、文句を言うつもりはありません。しかし正直に書けば、これまで、注目させるのはうまいが、中身は物足りないと思いつつ、それでも氏が度々こぼす「だって柄谷行人を読んで僕を読んでるやつなんか、もういないじゃん」という愚痴を聞いたりすると、初期から読み続けてきた人間として、氏のなかにあるはずの何かに期待して、言動をずっと見続けるつもりでいました。しかし、こういう姿勢こそが東氏を苛立たせ、また勘違いさせ続けるのなら、この精神の悪循環を微力ながら断ち切る手助けをするために、今後はむしろ、読むべきではないものと考えることにします。対談中に僕が言い続けた「この私」が問われるとは、こういうことで、私小説的な記述を意味するわけではありません。

4 争点3 新人批評家の輩出

東氏は、自分は宇野常寛氏、濱野智史氏、福嶋亮大氏、藤田直哉氏その他の人たちを「全部」「育てた」、それに対して文芸誌の側は何が言えるんだ、と主張しました(諸氏が、東氏によって育てられた、と単純に言うのかどうかはわかりませんが、彼らが東氏に接触していた時期があるのは、傍目から見る限り確かなように思えます)。僕は、文芸誌を主な仕事舞台とする人間として、より正確に書けば、最後の「新潮新人賞評論部門受賞者」として、つねにそのような問いを自らに課し続けています。漠然と問うだけなく、具体的な目標や企画を立ててもいますが、実現していない以上は何も語れません。それから、福田和也氏に教えを受け、大塚英志氏に仕事を、鎌田哲哉氏に姿勢を学んだ僕は、現在の関係がどうなっていようと、彼らが僕にしてくれたことと同じことを若い人たちに返そうと決めて、実際に振る舞っています。とはいえ、そこから新しい書き手が出て来るかどうかは、わかりません。この問題について現時点では東氏にアドバンテージがあることは認めます。僕の本を読んだ未知の読者や、本を通して出会った人のなかから、何者かが現れて欲しい。ネットを使った喧伝や野合や印象操作ではなく、書くこと自体で勝負できる人が出てきて欲しい。直ちに時限性が問われる性質の問題ではないので、そういう人が一人でも現れてくれれば、それが氏に対する答えになると思います。なお、2000年代の文芸誌については、僕を輩出したというのが答えになると思います。そういう責任と覚悟でやっています。

5 最後に

東氏が「争点1」の主張を貫くかぎり、僕には氏と対話する術がありません。しかし、当日の場にいた方は見ていたでしょうが、あの激昂と罵倒に曝されている最中でも、僕は、氏に対する怒りは湧かず、むしろ、そう語るしかない氏を理解しようとしていました。僕は氏の「ソルジェニーツィン試論」での、イワンとアリョーシャの対話を思い出していました。どう答えても間違える問いをふっかけられながら、その試しのなかに、何かしらの期待を感じていました(公正のために記せば、氏はけっして席を立とうとせず、また、僕の発言を遮るようなことも基本的にはせず、何より、長い沈黙を待ってくれました)。文学論や政策論を空疎に交わすよりも、こういう話しこそが、文学なのだと感じていました。とは言え、僕自身は、あれからずっと無力感を覚えています。アリョーシャになれなかった。あるいは「ゼロ年代の言論を認める」という一言が「銃殺です!」に値する言葉だったのか。その「ばかなことの上にこの世界は成り立っている」(『カラマーゾフの兄弟』)ことを認めることが、東氏に近づくことだったのかもしれません。しかし、本心では思っていない言葉を口にすることは、僕にはどうしてもできませんでした。それでも最後にこれだけは言っておきます。やはり「誰も言ってくれないけど全部繋がっている」ではなく、誰が見ても明らかに『存在論的、郵便的』を正面から超えた本を書くしかないと思います。どんなに売れようが、ツイッターのフォロワー数が何人いようが、それを利用した集団的な叩きを行おうが、前にも言った通り、僕には一切通用しません。しかし、決定的な一冊の本に対しては、頭を下げる覚悟は出来ています。それを書くために、もし僕の力が必要なことがあれば、またいつかお会いしたいと思っています。

今月の仕事+連続対談

「新潮」12月号の「小林秀雄」第6回は長谷川泰子について書きました。
「群像」12月号に大江健三郎氏『晩年様式集』の書評を書きました。

双方、この一年で自分が書いた文章のなかで、一番を競うものになったと感じています。

それから日本映画大学の今期のゲスト講義が決まったのでご報告します。最近、メディア露出的には大人しくしていましたが、現在に対する餓えを失ったわけではありません。やるときは、やりますよ。

12月 7日(土) 東浩紀
12月14日(土) 中島岳志
12月21日(土) 杉田俊介
 1月11日(土) 山城むつみ
 1月18日(土) 大澤真幸

詳細は日本映画大学ホームページまで。

今月の仕事

「新潮」11月号の「小林秀雄」第5回は中原中也について書きました。

中原については大岡昇平をはじめ、すでに相当語られてきたので、今回は「名辞以前」という言葉に中原が込めていたものと、詩・書簡・日記などでの小林との接点を書き残すことに集中しました。意外と小林の側から二人の関係を完全に整理したものはなく、次号の残りの部分も併せると、彼らの関係について現在残されている当事者資料の(ほとんど)すべてに言及したことになるはずです。このまとめ方自体が新しいとは言えるかもしれません。

なお今回初めて「この章つづく」で終わりました。執筆が追いつかなかったのではなく、むしろ規定の枚数を超過したため、入り切らなかったのでした。いちおう毎回一章完結のつもりで書いてきたのですが、都合よく規定枚数に収まってくれるものでもないし、必要な部分を切り捨てるわけにもいかないので、今後もあるかもしれません。

今月の仕事

「新潮」10月号の「小林秀雄」第4回の梗概です。

今回は幕末明治の日本とフランスの関係から入りました。1910年の大逆事件で文学から政治が切り離されることで、明治以来、実学性を問われてこなかったフランス文化が結果として隆盛した。そのなかで小林のフランス文学受容も形成された。それが、ボードレール象徴主義(=目の前の現実を否定して言葉による自立した空間の構築を目指す欲望)と共鳴するが、小林はその自閉性に息苦しさも感じていた。そこにランボーが「外部」を見開かせる。そういう小林を、彼の十歳年長で、やはりボードレールに魅了されていた芥川龍之介と対比させながら描きました。

今月は非常に大切な対談も控えています。お楽しみに。

今月の仕事

「新潮」9月号の連載「小林秀雄」第3回は、富永太郎と、小林の小説について書きました。大岡昇平江藤淳以来、小林と富永の相互批評は肯定的に論じられてきたのですが、ここでは内容に即せば読み取れる、すれ違いに注目しています。その上で、何十年かけても忘れない、死んだ友達のことを考える小林の気持ちを想像しました。

「波」9月号(今月27日発売)に藤野可織氏『爪と目』の書評を書きました。ネットでも読めるはずです。

僕の知る『新世紀神曲』の書評です。

山城むつみ「ブツなき内省のゆくえ」(「群像」9月号)
赤木智弘「内省という名の闘い」(共同通信欄)

両氏とも大変真摯に書いて頂き、この場で軽々しく返答できません。

『新世紀神曲』書評

僕の知っている現時点での『新世紀神曲』の書評をお知らせします。

古川日出男「「密室」を開くための、問いの連打」(「波」6月号)
安藤礼二「批評、その破壊的再構築」(「新潮」8月号)
池田雄一「その部屋にロマンスはあるのか」(「文學界」8月号)
池田雄一「文芸時事放談」(「図書新聞」7月13日)
杉田俊介「怒りと優しさ、そして淋しさ」(「すばる」8月号)

こんな風に列挙するのも申し訳ないのですが、月刊誌も意外とサイクルが早いので、書店で見かけたら、ぜひすべて読んで頂きたいと思います。頂いた言葉は時間をかけて考え、作品や行動で応えていきます。それからネット上で感想を書いてくれた方々にも感謝しています。この本はとても無防備なところで書かれています。前著のような「自負」はなく、読んでくれる人はいるのかという恐れと、読まれるのが怖いという、二重の恐怖を感じています。

なお新宿紀伊国屋本店のフェアは今月中旬あたりまでとのこと。

『新世紀神曲』の扉

この棚は担当者の方が異常なまでに拘ってくださったものです。僕のメッセージもありますので、期間中、ぜひ覗いて頂けると嬉しいです。

連載「小林秀雄」(「新潮」)は志賀直哉について書いています。

小林秀雄

本日発売の「新潮」7月号より連載「小林秀雄」を始めます。

わざわざ誌面を頂く以上、色々な企みはあります。しかし、僕の問いを率直に示せば、すでに「新潮」4月号に発表した「小林秀雄序論」で書いたように、

どうすれば抜け殻の集積から「生命」を生み出すことができるのか。それを行う者はいかなる境地にあらねばならないか。その境地に到ろうとすることと、物質的には私性に属しているかに見える意識=批評を「無私」へと到らしめようとする努力は、いかなる関係にあるのか。その試みと、物質から生命を生み出した力は、そして、宇宙そのものを生み出した力は、いかなる関係にあるのか。

というようなことを考えています。もちろん問題は、このような議論を口上ですることと、そのような境地に到ることはまったく違うということです。むしろ僕は、この種の議論を拒絶することが、それを実行するための第一歩だと思っています。この論じない批評がどこまで行けるのか。長い道ですがご期待ください。

なお「群像」の島田雅彦氏、谷崎由依氏との創作合評は、今月で終わりです。

新世紀神曲

今月31日に2年半ぶりの第二著『新世紀神曲』が刊行されます。

『新世紀神曲』

収録は、「復活の批評」(「文學界」2011年3月号)、「出日本記」(「群像」2012年5月号)、「新世紀神曲」(「新潮」2012年12月号)の3本。結果的に、順に、現代批評論、現代社会論、現代小説論となっています。

いずれも論と呼ぶには相当型破りですが、奇を衒ったつもりはありません。言葉は自分自身の在り方を問うように使うときこそ最大の力を発揮する。それ以外の言葉は本当は生きることと関係がない。だから。論争をするなら、数や追従やレッテルではなく、自分の言葉でやるべきだ。社会の混乱について語るなら、自分の混乱を見つめるべきだ。小説について書くなら、その試み自身が小説的であるべきだ。これが批評である。この原則は前著『神的批評』と変わりません。

しかし、この原則は変わらぬまま、重大な態度の変更がありました。これについてはここで説明するよりも、実際に本を読んで欲しいと思います。

刊行にあたって付記すべきことは「あとがき」に書きました。一つだけ「復活の批評」発表時を思い出して加えれば、原文を読まずにネット上の印象操作につられて欲しくないということです。この文章は「大澤はマンガやアニメを差別している」みたいな訳のわからないレッテルを貼られ(僕がそれらからどんなに影響を受け、それらを大切にしているかは、『神的批評』でも、それまでの活動でも明言・体現してきたことなのに)、議論の内実は問われずただ「炎上」し、その一ト月後に起こった東日本大震災で有耶無耶になってしまいました(その意味でもっとも書籍化を望んでいた作品です)。そういう光景は相変わらず、そこかしこにあるようです。僕自身も無縁とは言い切れないから、批判するなら、せめて対象となる原文を自分で読んでからにしようと決めています。なので、はじめて読む人も、かつて僕を叩いた人も、そのように読んでくれるよう頼みます。たとえ、それが話題になるということだとわかっていても、著者としては、現物を読んでもらえるようお願いするしかないのです。もちろん、このような経緯を知らない人にはまったく余計な話で、本当は、ただ読んで欲しいと思っています。

真の意味で文学・批評・思想の炎が燃え上がることを願っています。

付言

このタイミングで僕の勤務先である日本映画大学の「誓約書」問題が炎上しています。一言だけ言っておけば、僕は自らの信念に照らして、友人・関係者の皆様の信頼を裏切るようなことは決して行っていません。報道には事実と異なる部分があります。いずれ真実が公的に明らかになると思います。御安心ください。

小林秀雄

本日7日発売の「新潮」4月号から連載「小林秀雄」を始めます(正式には6月発売の7月号より開始ですが、僕は初回のつもりで書きました)。

これまで連載や依頼という形式を避けてきたのは、締切に追われて作品が駄目になることを恐れていたからです。事実や論理の確認ミスもそうですが、最悪なのは、行くところまで行けずに時間切れになることでした。また、一本でも失敗原稿を書いてしまったら、新人はそれで終わりだと覚悟していました。

しかし、一冊目の本を刊行し、二冊目の本の刊行も決定した今、新しいことをやってみたくなったのです。いい加減そろそろ書くことの次元を上げたい。好きなだけ時間をかけて、納得できたものだけを発表するのではなく、失敗や停滞を呑み込みながら、書き手と読み手の時間を変えるようなものを。たとえば、月曜日にコンビニに走り「来週はどうなるんだろう」と待ち遠しい気持ちで何度も再読した、あの「ジャンプ」体験を目指したい。そんなことが果たして批評というジャンルで可能なのか。そもそも文芸誌で可能なのか。わかりません。

とにかく、連載をやる以上は「本になってから読めばいい」ではなく、毎回「新潮」を手に取ってもらえるよう、心と体を整えながら頑張ります。

今月の仕事

今月7日発売の「新潮」12月号に「新世紀神曲」という作品を発表します。執筆は「批評と殺生」(「新潮」2010年4月号)の頃に開始し、例の「復活の批評」(「文學界」2011年3月号)があり、震災論「出日本記」(「群像」2012年5月号)があり、ほぼ3年かかっての完成です。分量も260枚と今まで書いたもののなかでは最大です。読んで下さい。

宣伝

下記のイベントに出席します。

6月30日 「以後」の「批評」のために

出演者は、佐々木敦氏、千葉雅也氏、速水健朗氏。このイベントは映画美学校での佐々木氏の連続講座「批評家養成ギブス」のプレ・イベントです(ちなみに僕は10月31日の講義を担当します)。ぜひいらしてください。

有限責任事業組合フリーターズフリーの解散について

2012年3月をもって有限責任事業組合フリーターズフリーは解散しました。

僕が有限責任事業組合フリーターズフリーに参加したのは「弱い者がさらに弱い者を叩く社会構造のオルタナティブを示す」という理念においてでした。たとえば僕が一貫してこだわっているのは、資本制を成立させるための原始的蓄積や、それを回転させるための相対的過剰人口という「構造的暴力」であり、それを前提とすることの上に成立してきた社会それ自体を疑うということです。単純に賃金が上がったり保障が充実すればいいという話ではありません。だから、不安定労働者を一方的に被害者と考えたこともないし、よく揶揄される「権利要求」のみを行ったこともありません。また資本制や私的所有を直ちに全面的に揚棄できるとも考えていません。それらの所与の現実の諸条件の先に「来るべき自由」を見ようとしているだけです。この機会に改めて強調しておきます。

フリーターズフリーから離脱(組合としては解散しますが雑誌は続きます)するということは、その理念がフリーターズフリーでは十分に実現できない、そう僕が結論したことを意味します。理由は一口には言えません。自分が不安定就労の当事者ではなくなったという事実はあります(とはいえ有期雇用なので今後どうなるかはわかりません)。でもそれだけではない。自分のなかでまだ理解できていないこともあります。しかしいずれにせよ、フリーターズフリーに参加できたことは、生まれてきた性質からして協働作業に向いていない僕にとって、奇跡的な得難い経験となりました。

この間3号を待ち続けてくれた方がいると思います。ご期待に応えられず申し訳ありません。しかし、ここで一度仕切り直すことで、フリーターズフリーは新たに動き始めるでしょう。僕は当面、自らの認識や感覚や倫理の核を鍛え直す仕事を進めつつ、その試みに呼応してくれる人を気長に探します。そして機が熟したらまた何かやるつもりです。

最後に、不安定労働者としての自分に何度も言い聞かせてきた言葉を、今この瞬間にフリーターとして生きる若い人たちに贈ります。気高くあれ。卑怯や虚栄や追従や嘲笑が世に蔓延ろうとも、君の精神だけは誰よりも高貴であれ。日々の生活が苦しくても貧しくても愉快であれ。君がそう在ろうとする限りで出会える未来の友を信じろ。負けるな。

ありがとうございました。いつかもっと成長した互いで出会い直しましょう。